Djubee's Garden with Fountain of Wisdom

なんだろ?から始まる自問自答のblogです

2019年参議院選

時代は巡る 
10年、20年、30年、50年

50歳も目前にものなると「あれ?こんなこと前にもあったな」と思うことが増える。

デジャヴなのか、本当に繰り返しているのかと 今はインターネットがあるからググってみる。

するとたいてい、過去に起きたことをまた人々は繰り返していることを知る。

チェルノブイリ事故があったとしても、福島では東電の原発事故が起きる。
またAIDsで大騒ぎをして、AIDsにならない遺伝子を発見したと思ったら今度はエボラウィルスのワクチン市場が生まれている。

かつては武器商人の一人勝ちだったのだろうが、同じぐらい製薬会社が経済界で強くなっている。病人様々のビジネスだ。病人がいてくれないとつぶれてしまう。
武器商人も同じ原理で、敵がいなくなってしまったら商売が成立しない。

阿修羅の世界なのだろう。
もののふ姫の「でいたらぼっち」と「ししがみさま」の仕組みと同じ
陰陽のようでもあるけれど、なにか腑に落ちない。
それが自然の摂理だとか宇宙の法則だとかではないと思い始めている。

単純に想像すれば、別の未来があったはずなのにと良く思う

エボラウィルスも発見されたのが1974年だという
発見されたエボラ川の近くだからその川の名前が付いたという。

致死という危険なウィルスであったにも関わらずWHOはその事実だけでは予防医療をコンゴ住民に先に提供または指導しなかったという汚点がある。

素人の集まりではないはず。
想像力を活かせ単純に早い段階で 動物とウィルスの関係を解明することができただろう。

トランプ大統領と安倍首相の同時期の出現も、偶然ではない。
計算されたシナリオのように 極右に向かっているように見える。

スーパーウーマンが現れて、合衆国は最強の女性大統領を掲げることができるのか。

私たちの 参議院選は転換期としてはうってつけだ。
これからは 日本が日本として足並みをそろえて世界の文明文化人の仲間入りとなれるのか。。。2020年のオリンピックで、先進国でなくなっている可能性がある。

ペットボトル、使い捨てプラバッグ、過剰包装などなど日本がやれることがたくさんあるのだから、政府、官僚、自治体事務方とかではなく、市民が立ち上がれることを祈るばかりだ。

 

謝罪

「謝罪は日本の美徳」?

道徳もお作法も知らなければ 昔は 家柄とかいって「お里が知れる」とかいうこともあった。
うちは 根無し草だし、世代間伝達できてないから、親から学んだことは「ありがとう」と「ごめんなさい」だった。
ただ頭を45度下げなければいけないとか90度 30秒下げるとか教わってない。
 
なんだろ
 
「日本風」「米国風」「北欧風」「中東風」「アフリカ大陸風」とか 「民族風」とかTPOで 教えてもらえたらわかりやすい気がする。

そのうちの日本風だけは、~派とか~流とか。
それをきちんとやっていれば、心がいつかは伴ってくると考えてあげられたら良いのかもしれない
 
「日々是好日」
 
日本人は 謝りたい国民なのではなく、謝られたい民族なのかもしれないから。
 
 
最近、テレビで頭下げてる人の 謝罪って何流、何派?とかと思ちゃう。
 
自分自身は 頭を下げることは多い。
日本では失礼をしている自分がいるとなぜか思ってしまう。
頭下げればいいということではないけれど、
「すみません、すみません」というウド鈴木さんが「とても腰が低くていい人」という評判がある。
 
冷静に考えれば、腰が低い=良い人なのか・・・?
 
形が大事というのは 日本の武道に通じる
 
ただし、謝罪ビジネスがあると聞くと
頭を下げている人たちが、遊園地のキャラクターに見える

日本の「謝る」は難しい。
相手が 認めなければ 謝ったことにはならないのか
それに、相手によって その受け取られ方が違う。
 

アニータさんの「臨死体験の後」の日常の話と私の鬱のリハビリ方法

身体の不思議

アニータさんは、臨死体験をした。4年間のリンパ癌による闘病の末、こん睡状態と診断され、医師から「あと数時間の命です」と家族は告げられたという。

彼女の眼は閉じられていたが、医師や看護師、手を握る夫の様子が見えるようにわかったことに気づくと、自分の身体さえも見えたと。自分自身が広がっていくような感覚したとき、先に亡くなっている父親とつながり、なぜ自分ががんになったのか理解できた。 父が「まだ早い。戻れ」というが、自分には 病気の体に戻ることにどんな良いことがあるか想像もできず、このまま戻らないことを選ぶことも彼女には残された選択肢だと思った。 しかし、なぜ自分が 病気になったのか、そして、自分自身もすべての人々もありとあらゆるものが、一つの【意識】で繋がっている、同じ意識の中にいることを知った今、この体にもどる決断をした。

彼女がこん睡状態から回復したことは医師を驚かせ、すべてのがんも消滅した。
なぜ、そんなことが可能だったか。それは奇跡なのだろう。
ただ、彼女は不思議なことでないとわかってる。
それが【臨死体験】というものなのだと、つくづく思う。

彼女は5つのレッスンをこの臨死体験で学んだといっている。
是非、映像を見ていただきたい。 驚くほどの重病状態からの回復である。
それなのに、彼女が気づいたことも まったく新しいものではない。
だからこそ彼女の気づきは真実なんだと判る。

エルビスプレスリービートルズが決して 陳腐な音楽として認識されないようにだ。
ブッダの真実の言葉も 決して古くなることはない
みんな 同じことを 言っている
「 LOVE IS ALL YOU NEED」AND 「LET IT BE」



彼女の気づきは この物質世界で生きるための 至福の黄金律であり、日々実行する彼女の日課がその道なのだ。 常に自分は大きいワンネスだと感じながら生きていくことが、人生のバージョン2.0から2.1とか2.2への移行ということなのだろう。




筆者が25年前に鬱を乗り越えたときのリハビリ方法が似たものがあった。
自分を大切にすること。敢えて付け加えて言えば、「自分だけの世界の自由を思う存分満喫する」ということを付け加えれば 誰でもできる。 誰も見ていない、自分の世界の中で自分を満足させること。 自分自身を大切にする。

リハビリとして、 朝晩、薄暗い灯りの中で 鏡に向かって「世界中のすべての人が私を否定して嫌いになったとしても、私はあなたを愛しています」という呪文を唱えた。 思い返せば、ちょっとそれだけではネガティブな呪文だけれど、それでも筆者の場合、2~3か月で元気になった。脳みそというのは、結構単純なものだと思った記憶がある。
他にも努力はした。離婚したり、引っ越したり、異性に甘えたり、生活環境や人間関係を変えるということもとても良いきっかけになった。

世界中の全員から愛されることもなければ、否定されることもはないことも理解している。 これは ブッダも同じことを言っている。 どんなセレブでも、1/3の人はその人の名前すら知らないかもしれない。書いてある。 ブッダは自分の信者が増えたとしても、小さい山村に行けば「あんただれ?」ということもあったのかもしれない。

 
根本的な問題に執着しているため、日常で繰り返す現象に一喜一憂してネガホーリックが顔を出す。

過去について、人間の脳は ネガティブな記憶の書き換えということが可能だとされている。リハビリならぬ、リプログラムだ。心理学でいうリフレーミングと言われているものかもしれない。嘘から出た真。 過去なんて、どんな風に書き換えたって良いのだ。 ネガティブな記憶に苦しめられる人生からも抜けられるはず。

そして、自分一人で難しい時は、外の力を借りればいい。
カウンセリングを受けたり、自分をそのまんま愛してくれる人と出会うことで 脳みそは不思議な現象を起こす。

私も臨死体験に近いものを体験をしているが、もう一歩 檻から出きらずに、現在トラウマ治療を受けている。 その話はまた別の機会に。。。

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「文字に思いを残す」ということ

本、書きなよ!

さいころから、本を読むのが苦手だった。
大人になっても、「てにをは」も間違える。

社会人として恥ずかしい思いをした「含有」が読めなかった。

多分、子どもの頃、母も忙しくて本の読み聞かせとかしている暇もなかったのだろう。

作文も、小2の時にありのまま「父が酔っ払ってボーナスを電車の中ですられました」と書いたら めちゃくちゃ怒られた。
どうも、社会不適合の要素はその当時からあったのだろうし、人の気持ちがわからない冷たい子だと母に言われた記憶があって、今でいう “発達障害”だと 半世紀近くたってどうにか生きづらさの理由を見つけて心の拠り所にすることができた。

私のような「黒、白」で生きている人間にとって、【なんとなく】とか【グレー】とか非常に息苦しい状態なのである。 祭りの金魚すくいの金魚の気分なのである。
どちらかにいないと苦しい。

しかし、小さいころから 古都 と呼ばれる土地に住んでいたせいか、いろいろな不思議な体験をしてきたし、周囲も当たり前に怪談話してたし、我が家でも日常茶飯事で、見えない世界のことに興味を持っていた。グレーよりも あやふやなものなのになぜか信じることができた。

宗教に興味があっても、どれ一つとっても 私が納得できて入信するほどのものはなく、全部いいとこあるよね。と 仲間に入れないことの劣等感を持って生きてきた。
エホバの証人は頻繁に布教活動をしていたので、話を聞いていたが、中学生の頃、興味を持ったので 話を聞かせてもらった。 それでも「聖書にはこう書かれています」というので、「貴方はどう思うのですか?」と聞いても「聖書のXXページに・・」となるので、私には難しい宗教だということで、お断りしたことがあった。 学校の教科書を覚えるのだって苦痛な人間に、聖書のページ数から引用までやるぐらいなら、他のことを考えていた方が幸せだと思ったからだ。

小2の時に UFOらしきものをみて、木曜スペシャル矢追純一さんがイギリスの Scienceという番組でエイプリルフール企画された 伝説の回「第3の選択」を日本版で持ってきたものをテレビで見て、どっぷりその世界に使った。

そんな小学生も、紆余曲折あり大人になって結婚をし子どもを産んだ。
産後うつ病にもなり、超自然現象的なことも 霊感的なことも 自分には縁遠いものになっていったと思っていたが、子育てで、息子が10歳を過ぎたころから、妊娠前にもあっ直感、予感、霊感、というものが少しずつ戻ってきたような感覚を覚えてきた。

本当にすべてが証明できるほど能力があればまた商売でもできるのかもしれないけれど、いたってランダムに突然やってくる。。。不思議だと思っても話を聞いてくれる人が出てきた。何度も 死の道を選ぼうかと考えていた自分だったけれど、今回のように「人に話していてもしょうがない。アイデアだけで終わってしまう。文字に残しなさい」というアドバイスを数人の方に同時期にもらったことをきっかけに、「てにをは」は苦手だけど、時事ネタを取り上げながら書いていこうと思う。

本当は、テーマを一つにして、書けば好いのだけれど多分とりとめもなく広がっていくことも多かろう。 それも一つの私のブログの特色として、いつか 校正というのをしてくれる人が現れたら お手伝いしてもらうということで、今は 垂れ流しながら書き続けることにする。

占い、予知、霊感、遠隔透視、いったい自分の能力が何かは解らないけれど
今の日本語としては良くないらしいけれど「あげまん」らしい。
得するあげまんと得しないあげまんと、二通りいるが、得をしないあげまんなのだろうと思う。 その理由の一つが、最近知った「愛着障害」という名前の 私の欠落した感情の部分からではないかと考えるようになった。

得するあげまんになりたいから、というわけではないけれど、子育てをしながら、人との出会いの中で、この 実母との関わりによってい歪んだ「愛着心」「安心」「自己肯定感」などなどを 母のせいにすることなく、整理しそぎ落としていきたいと考えている。

そして残った私自身が、ただシンプルな満たされた人間になるのか、または自分の外側のエネルギーとの交信がしやすくなってより多くの情報を得られるようになるのか、楽しみながら、今 愛着障害の治療を受けつつ、人の役に立つような能力の発揮ができれば嬉しく思う。

そんな昔からの不思議体験ということを ただ言葉で垂れ流していくのではなく、文字にするという ある種 宗教的な試みにチャレンジしようと思う。

「文字に思いを残す」 というのは 私が見えている 社会時事ネタや 過去の事例、自分の想像する近未来などなどを書き残す。

賛否あるとは思うけれど、だれかの役に立てたら嬉しい。

はじめまして Djubeeです

感じたことそのままに

まず、このblogは、Djubeeの気ままな思いつきに基づき、思想を書き溜めておく目的にはじめます。

研究されている多くの皆様のご意見や時事ネタを参考にしていますが、賛否や誤解などもあるかと思います。

最新の情報があれは是非ご提供いただきたい。

否定でとどまらず、アウフヘーベンを繰り返すことの方が楽しいので、継続して考え続けていけたら嬉しいです。

 

まず興味を持つという心と脳の動きからすべてはじまります。

どうぞよろしくお願いします、

 

Djubee